なぜ覚えたことを忘れるのか

もはや忘れるために覚えているようなものである。いくら体系化を叫んだところで所詮は一時的な記憶にしかならない。人間は知覚した情報をすべて覚えているという。しかしそれらの情報を思い出すとなると話は別である。畢竟理想的な学習をすればいいだけの話である。現在患っている剣呑も時が過ぎれば無用の長物である。こうして頽廃に浸りかける行為自体、時間の浪費というものである。それに気がついておきながらこの様に鬱憤を書き連ねるのは、経験に学ぶことのできぬ人間の性である。愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶと誰かがいった。言ったはいいがその実は異なる。経験に学べるものは賢者である。そうなれば歴史から学べるものは賢者であろうか。いや、歴史学者とか受験生だろ。まあ後者への言及はどうでもいいとして、経験から学ばぬ愚者という例に私は漏れない。学習に嫌気がさしてならない。これまでその都度幾ばくか内省してきたが、正直無意味というか、どことなく意識高い系の感がして癪である。とにかく勉強おもんない。やりたくない勉強はマジで無駄。さっさとこの環境を脱却したい。