起きろ、おれ

一度起床した時点で何故もう一度寝ようかと思うのかというと、それは体に残った一抹の疲労感に辟易するからに他ならない。ここで思いついた有益な策として起床直後に媒体を注視するというものがある。経験則的には非常に有効な手段のように思うが、これが果たして起床後の二度寝防止になるかというと不安が残る。人間は枷がないと動かないという不文律を撃ち砕かんと精神性重視の生活に従事してきたはいいが、ここでその甲斐がなくては私の過去の時間はなんだったのかということになる。

とにかく本日の頽廃は紛れもなく二度寝の産物であり、これを矯正しない限りはおよそ先の見えぬ料簡で未来を承知している。5時過ぎに起床したことが手持ち無沙汰になり、何をしようか考えながら眠りについてしまった。二度寝の害悪を唱えて久しいこともあり何をするにも億劫になった状態から抜け出せず、二度寝は疎か終いには三度寝、四度寝の中に誠に心地よい夢を見出すにいたった。是正すべきものを是正せずに人間の精神性は昇華せぬ。

第一に切迫感がない。まるで逼迫した様子が感じられない。やることをやればいいという話かというとまさにそういうことなのだが、そのやるべきことさえままならない状況なのである。

同じ失敗を再度犯さないことは基本中の基本である。基本を侵犯するということは家屋の下の土を取り除くことと同様である。