人間よええ

やはり人間は弱い生き物です。今日痛感しました。正確に言うなら、今日「も」痛感しました。ここ最近は非常に短い周期を伴って頽廃に陥っているような気がします。人は本当に弱い。作用と反作用の関係というものが物の道理として在りますが、人間も同じように、その意思を抑えつけられようものなら反発します。例えその抑制が主体的に成されたものであっても。計画を立て、この通りに行えば理想的であると定めたところで、明日になるとどうでしょうか。三割ほどの達成感も得ず、自責の念に苛まれるということは少なくないことです。どうも人間は、自分の意思を貫徹することにかけて、脆弱であるように思います。かつて心の中の私は言いました。「自分で決めたことをただやるだけでいい」と。確かな経験に基づく計画と反省とが伴っていれば、自ら道を示すことが出来ます。その道を歩んで行き、どう振れるか、振れた後どう動くか、というのが人生であります。今の私は道を進むことすらしない、怠惰で愚鈍な兎であります。兎と例えるのは言い得て妙でしょう。というのも、慢心が伴っているからです。この自尊心にかけては、恥ずかしながら他に退けを取らないものを持ち合わせております。これは愚でしょう。私ははっきり言うことが出来ます。高慢や自尊心は疾患です。しかし皆自分の症状には気づきません。その代わり周りは気づきます。敷いた風呂敷の大きさや上からものを言う態度に症状が現れます。本人が気付いたときには既に遅いのです。周りから人間が離れていくどころか、致命的な挫折が本人を苦しめます。人から蔑まれます。結局何もできないんだな、と思われます。凡人なんだな、と思われます。チンカス野郎なんだな、と思われます。但し、特効薬はあります。それは自分を蔑むことです。極度に自分を蔑み、脳裏に危機感を叩きつけることです。そうすると、自分を蔑んでいたら精神が狂ってしまうのではないか、と思うかもしれません。大丈夫、自尊心に満ちた人間が本気で自分を傷つけることはありません。何故ならそのような人間は、自分は一番可愛いということを、自尊心を然程持ち合わせていない人間よりも、その本能にかけて自覚しているからであります。そうすると、自分で自分をゴミのように扱う方がちょうどいいように思います。この世でもっとも徳のある人間は謙虚な人間です。謙虚な人間は、まずいません。その証拠に、皆、鼻が伸びております。皆、触れるだけの鼻があります。つまり、謙虚な人間はいません。だからこそ、謙虚を目指す姿勢を持つ必要があるのです。そうすれば幾らかは、今私が患っているような状況から解放されるかもしれません。また明日から自分を叱責いたします。死が過るほど打ちのめす所存でございます。